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ニュースリリース

ダボス会議にて松長有慶会長が出席及び提言

 ダボス(スイス東部)で行われた世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に松長有慶会長の提言がメディアを通じて公開されました。以下にその全文を掲載させて頂きます。

日本仏教からの提言

財団法人 全日本仏教会
会長 松長有慶

 21世紀は混迷の時代である。前世紀の科学技術文明の驚異的な発展によって、人々は未曾有の物質的な繁栄を享受しながらも、精神的な痛みを抱えながら生きている。
 われわれの周辺を見渡してみても、自己主張が突出し、他人の痛みには鈍感で、地域社会の連帯は希薄化し、凶悪犯罪が日常化する異常な社会が現実化しよう としている。世界全体を見れば、先進諸国の経済的な発展の蔭で、開発途上国の人々との間に貧富の差が急激に増大し、地球環境が劣悪化し、資源が枯渇し、民 族紛争、宗教間の対立抗争が常態化する憂うべき事態が現在進行しつつある。
 社会的にも、個人の内面においても、八方ふさがりの閉鎖状態にあって、われわれは今まで自己が持ち続けてきた固定した人生観を冷静に反省して、改めるべき点があれば、率直に生き方を転換させて、事態の根本的な改善を図る必要があろう。
 そのために、近代人が比較的等閑視してきた東洋の文化、とくに仏教の文化の中に、現代社会の病根に有効に作用する良薬が少なからず残されていることに、私は注目したい。
 大乗仏教を奉ずる日本の仏教徒が、現代社会の危機に対して有効と思われる提言を要約すれば、1.生きとし生ける者の相互の関連性を認める全体的思考、2.多元的な価値観、3.生かせていただいている意識から社会奉仕活動へ、これら3点に集約されるであろう。

1.生きとし生ける者の相互の関連性を認める全体的(wholistic)思考

  日本仏教には、人間中心、とくに自己中心的な視点を転換して、無限の宇宙的な視野の下に、人間だけではなく、動物、植物などあらゆる生物の相互のつながりを示す「一切衆生」という思想があり、日本の仏教徒の人生観の根底に横たわっている。
 大乗仏教では、一切衆生はすべて仏になる可能性を持っていると説く。人間だけではなく、獣も鳥も魚も、虫けらに至るまで、あらゆるいのちあるものは、仏になりうるという思想は、人間と神との間に明確な一線を引く一神教の世界観とは異なる。
 日本仏教では、山や川、草や樹木もまた本質的には、仏であると説く。それは、生きものだけではなく、山や川、風や石ころなどの無生物まで、神として崇敬してきた民俗信仰を仏教が摂取し、仏教の教理によって裏づけを与えたものである。
 近代思想は自我を中心として、自と他を明確に区別するところから出発した。それは物事を対象化して捉え、近代の科学技術文明を発達させる基盤を作り上げ た。だが一面において自と他、物と心、人間と自然などの間にあった靭帯を切断し、それぞれを独立の存在とみなす考えが常識化することとなった。
 しかし最近の人文科学や自然科学の研究の成果によると、他者から完全に切り離された自己は存在しないし、物質と精神をまったく別個の存在とみなすことは 困難となった。また人間だけが動植物や自然界を支配し、それらを隷属化する権利を持つものではなく、それらの間には相互に関連し、補完しあう共存の関係を 想定せざるを得なくなった。
 日本仏教の考えからすれば、自と他、個と全体、物と心というように、一般に対立的に考えられている存在は、もとより一体である。ものごとを分析的により 分け、細分化することによって、ものの本質は見えてこない。むしろ対立的な思考を捨てて、全体的に把握することによって、ものの真実の姿が現われてくると 見る。
 仏教は自我を中心として対立的に世界を見る近代思想から、宇宙的な視座の下に、全体的、相互関連的に世界を見る立場へと、視点の百八十度の転換を提案している。
 分析的な思考法とか、物心二元論的な思考は近代の科学技術文明の進歩を支えてきたが、さまざまなひずみを現代社会に露呈することとなった。すべての存在 に、いのちを認め、相互の関連性を重視する日本仏教の総合的で、生命論的な観点は、人間疎外とか環境破壊といった現代社会が解決を迫られている問題に対し て、有効な示唆を与えるであろう。

2 多元的な価値観

 近代の科学技術文明の驚異的な進歩の基盤には、一元的な価値観があったことは疑い得ない。しかしながら人間社会をすべて一元的な価値観によって統合する 思想の矛盾点も、20世紀後半になって明確になってきた。いわゆる先進文明だけが唯一絶対の価値を持つものではなく、地球上のあらゆる地域に存在する未開 の文化も、それぞれ独自の価値を持つことに人々は気づいた。
 このような点に於いて、インドや中国、あるいは日本などの東洋の文化は多元的な価値観に基づいて展開してきたといえる。日本仏教においても、6世紀の始 め、その伝来当初から、仏と日本人がそれまで信仰してきた民族神との融合が図られてきた。日本の民衆の間では、外国から渡来した仏と、民族信仰の神々が排 除しあうことなく、互いに影響を与えあって共存してきた歴史を持っている。現在でも日本人の間では、同じ屋根の下で仏壇と神棚がともに祀られ、祈りが捧げ られている家庭が少なくない。
 異なった文化を否定することなく、その存在価値を認め、自己の組織の中に取り込み共存する原理は、日本仏教の中でも、仏教の曼荼羅の中に具体的に表現されている。
 曼荼羅とは仏とか、それに至る修行過程にある菩薩、さらにはもともとインドで、バラモン教で祭られる神や、ヒンヅー教で信仰されていた神を取り入れた明王や天部の神々を集約して画いた絵図である。
 曼荼羅には異教徒の神々が少なからず取り入れられているが、それらは無秩序に寄せ集められたものではない。その中では、大乗仏教の中では有名な菩薩た ち、あるいは民族信仰の神々が、民衆が信じている神々の性格別に、いくつかのグループに分け、配置されている。知的な神、情け深い神、勇気のある神、エネ ルギーに満ちた実行力に富む神等々、それぞれのグループに分けられて配置されている。たとえ異教徒たちの崇拝する神であっても、それぞれの長所を認め、本 来の個性を持ったままに、仏教の仏に変えてしまう。
 しかしながら個性を持つということは、100%完全ではないということである。個性は長所と短所を二つながら持っている。仏教では短所のみを取り上げ、 その欠点を非難することなく、それと表裏の関係にある長所だけに眼を向け、その長所を持つために、仏や菩薩として仏教のpantheonに偏入してしまう 包容性を持っている。
 そこには排除とか否定の論理は認められない。それは一元的な価値観によって、善と悪、あるいはカオスとコスモスとを画然と区別して、一方だけを尊重する 思想ではない。無数の価値基準を用意して、いずれかに当てはまるものは、すべて取り入れていこうとする東洋文化の基本的な姿勢を、曼荼羅の思想の中に見出 すことが出来る。
 以上のような仏教の世界観や曼荼羅の思想は、対立抗争が渦巻き、精神的な混迷の度を益々深めていく現代社会において、異文化との対話、生活文化の新しい指導原理を求める場合、かけがえのない重要性を持つに違いない。

3.生かせていただいている意識から 社会奉仕活動へ

 日本仏教の歴史の中で、仏教者が社会に積極的に働きかけている事例は数多くある。具体例を列挙する紙幅を持たないが、日本における貧民救済などの社会福 祉活動は、6世紀に仏教が伝来した初期から始まる。それは大乗仏教の利他の精神の具体化とみられる。病院、施薬院の創設、橋を架け、池を掘り、道路を開く などの公共事業、無料宿泊所の設置、孤児救済活動を始め、13世紀には、仏教の戒律復興運動の従事した僧侶たちによって、各種の貧民救済の福祉事業が積極 的に行われ目覚しい成果を挙げてきた。その精神は日本仏教の各教団に現在まで受け継がれて、大乗仏教の利他の思想を実現すべく、多彩な福祉活動が各方面で 展開されている。
 これら仏教の僧侶や為政者が仏教の利他の活動の一環として行った社会活動とは別の次元に於いて、民衆の中で他者に対する無償の奉仕活動が継続して行われてきたことにも注目したい。その活動の根底には、民衆の持つ独特の罪の意識があった。
 日本人が古くから持つ罪の意識は、キリスト教徒の原罪とは基本的に異なる。日本人は日常生活の中で、生きていることが常に他に対し、また社会に対して、 迷惑をかけているという意識をもち、それが罪の意識となって心の中に根強く残った。その罪をそのまま清算せずに生きていると、さまざまな災いが,己が身に 降りかかり、不幸が訪れると信じられた。その贖罪を可能とするには、神仏の前で懺悔を行い、また当人が社会に対して、善行をおこなうことが必須の条件で あった。
 このように社会のために労働する苦行が、己が犯した罪を払うという日本古代の贖罪観を背景とする社会福祉活動は、作善(さぜん)と呼ばれた。13世紀頃 に、念仏信仰を唱導しつつ、寺社の建立資金の調達のために全国を遊行した聖たちは、贖罪の意識をもって、各地に橋を架け、道を通じ、井戸を掘るなどの慈善 事業にも従事している。
 奈良の東大寺の再建に寄与した重源(ちょうげん)には、「南無阿弥陀仏作善集」という著作がある。それによれば、彼は「南無阿弥陀仏」の念仏を唱え、寺 塔の建立、架橋、道路の改修、湯屋の建設などの「作善」を民衆に勧めつつ、人々を次々に仏教の信仰に引き入れていったことが知られる。
 われわれが現代社会に生きていること自体が、限りある地球の資源を消費し、大気を汚染し、環境の破壊に多少に関わらず関与していることは事実である。罪 を犯しながら地球の上で生かさせてもらっているといってよい。その意識をもって、社会のために自分が何をなしうるか、生きる代償として地球環境の保存にい かに寄与しうるかを真剣に考える事態が今到来しているといってよい。
 生きとし生けるもの相互のいのちのつながりの意識、弱者の中にかけがえのない価値を認める多元的な価値観、生かせていただいている意識をもって行う他者への奉仕活動、これらの問題を含め、現代人が仏教の思想に学ぶべき点が少なくないと私は考えている。

(以下は当日発表の英語原文)

Some Suggestions Offered from Japanese Buddhism


MATSUNAGA Yukei
President of the Japan Buddhist Federation

 The 21st century is a time of turmoil. Because of the amazing advances in science and technology during the last century, we now enjoy an unprecedented degree of material prosperity. Nevertheless, we still have not escaped from mental and spiritual suffering.
 We see all around us the symptoms of a society lacking in normalcy: self-centeredness, insensitivity to the pain of others, the breakdown of local society, and the routinization of barbaric crimes. Looking at the world as a whole, while the developed nations have achieved economic development, the disparity between rich and poor is rapidly worsening in the developing nations. The global environment is deteriorating, resources are being depleted, and ethnic conflicts and interreligious strife are becoming commonplace. These are the increasingly lamentable circumstances in which we find ourselves.
 We are hemmed in on all sides, and restrained both socially and individually in our mental activities. It is important for us to reflect calmly on our habitually self-centered ways of living, and change what needs to be changed to lead an honest life. It is necessary that we do this to make any fundamental changes in our present circumstances.
 To achieve that, I wish to emphasize that Eastern culture, relatively neglected by modern society, and in particular Buddhist culture, contains within it the precise medicine needed to effectively uproot these diseases of modern society.
 To make some brief suggestions capable of effectively handling the crises of modern society from Mahayana Buddhism, which is the form of Buddhism practiced in Japan, I would like to present the following three points: (1) a holistic approach recognizing the interdependence of all living things, (2) a pluralistic sense of values, and (3) social service based on the awareness that our lives are owed to the world and society.

1. A holistic approach recognizing the interdependence of all living things.

 In Japanese Buddhism there is the concept of shifting the focal point of our worldview away from a homocentric—more specifically, an egocentric—view to one that takes the interconnections among all living things, including all forms of flora and fauna into full consideration. This concept lies at the very core of the Japanese Buddhist view of the nature of man.
 Mahayana Buddhism teaches that all living things have the potential to become buddhas. This does not apply to human beings alone. All living things, including animals, birds, fish, and even insects can attain buddhahood. This way of thinking is different from the worldview of monotheism, which draws a sharp line between man and God.
 Japanese Buddhism teaches that in essence even the mountains and streams, the plants and trees, share in this buddhahood. In the ancient spirituality indigenous to Japan, even inanimate things such as the mountains, streams, wind, or stones were worshipped as gods. This belief was absorbed into Buddhism, and given a Buddhist doctrinal foundation.
 Modern thought has developed on the basis of egocentrism, and in making a clear distinction between subject and object. The objectification of phenomena is the foundation that permitted the development of modern science and technology. It has become quite common, under those circumstances, to ignore the interconnections between the self and the other, between the physical and spiritual, and between man and nature, and to see them as somehow independent of each other.
 However, the most recent findings of research in the humanities and natural sciences suggest that there is no subject completely independent of objects. It has become difficult to conceive of matter and mind as two utterly separate things. We have controlled the plants and animals and acted as if we had the right to take advantage of them for our own benefit. Yet, we have now come to the point where we can no longer ignore the reciprocal relationship that exists among all living things, and their interconnected and complementary nature.
 Japanese Buddhism sees phenomena commonly considered to exist in opposition to each other—subject and object, the individual and the whole, or matter and mind—to be fundamentally in a harmonious state of identity. Through dividing and subdividing phenomena for the purpose of analysis, we lose sight of that fundamental state. If we abandon the habit of treating things as being mutually opposed, and instead embrace a holistic approach, the true nature of these phenomena will manifest.
 Buddhism asks us to change our point of view 180°. It asks us to change our view from the modern one of the self in opposition to other phenomena to a universalist frame of reference that sees the world as an interrelated whole.
 The analytical way of thinking and the dualistic approach to matter and mind has supported the advance of science and technology. It has also exposed many stress points in modern society. An emphasis on the interdependence of all living things—the vision of life taught in Japanese Buddhism—may provide effective suggestions for handling such pressing issues of modern society as human alienation and environmental destruction.

2. A pluralistic sense of values

 It is an incontrovertible fact that the foundation of the extraordinary advances in modern science and technology owes much to a normative set of values. However, the inconsistencies of human society brought together under such normative values became clear during the latter half of the twentieth century. It was realized that the so-called developed civilizations do not alone possess absolute values, and that all the developing cultures everywhere in the world each have their own unique values.
 It may be said, in this consideration, that Eastern cultures such as those of India, China, or Japan have experienced a development based on pluralistic values. Since the time Buddhism was first brought to Japan at the beginning of the sixth century, the teachings of the Buddha have existed in harmony with the indigenous spirituality of the Japanese. There was no attempt by the Japanese people to eliminate either the teachings of Buddhism or the native Japanese beliefs. Rather, these two faiths in Japan have experienced a history of mutual influence and coexistence. One typically finds a shrine to the native Japanese gods and a Buddhist altar in the same home in Japan today, with prayers offered at both.
 The principle of coexistence through accepting and integrating different cultures and their values is concretely demonstrated within Japanese Buddhism through Buddhist mandalas.
 A mandala is a painting which gathers together the buddhas, the bodhisattvas in the process of becoming buddhas, and also the deities of Indian Brahmanism and the gods worshipped in Hinduism.
 Buddhist mandalas incorporate not a few non-Buddhist gods brought together to coexist in a perfectly orderly fashion. The well-known bodhisattvas of Mahayana Buddhism or the gods worshipped in Hindu culture are divided into several groups according to their characteristics and positioned in the mandala. The outstanding qualities of various gods, such as those possessing wisdom, compassion, courage, or the power to accomplish matters, and so on are recognized, and the gods are transformed into Buddhist deities with their original uniqueness intact.
 However, the individual characteristics of those gods are not completely retained. That is to say, individual characteristics may be divided into strengths and weaknesses. Buddhism passes their negative qualities by without criticism, and focuses only on their positive qualities, which are inversely connected to those weaknesses. Buddhism has the tolerance and broad-mindedness to incorporate them into the Buddhist pantheon as buddhas or bodhisattvas.
 There is no concept of exclusivism or rejectionism here. This is not a system based on a monistic set of values drawing distinctions between good and evil, or chaos and cosmos. There is no reverence for one but not the other. The fundamental stance of Eastern culture, which allows and recognizes a pluralism values, is discernible in the teachings of the mandalas.
 As outlined above, the worldview of Buddhism and the teachings of the mandalas undoubtedly can provide something of irreplaceable significance in the pursuit of intercultural dialog and a new guiding principle to live by in our modern society, abounding as it does in unending conflict and spiritual confusion.

3. Social service based on the awareness that our lives are owed to the world and society

 In the history of Buddhism in Japan, there are many examples of Buddhists who have made positive contributions to society. While too numerous to list here, social welfare activities to assist the poor began with the importation of Buddhism to Japan in the sixth century as a concrete manifestation of the teachings of Mahayana Buddhism calling for a devotion to the principle of universal liberation from suffering. These activities included public projects such as the construction of hospitals, pharmacies, bridges, reservoirs, and roads, the establishment of free lodgings, and activities to aid orphans. In the thirteenth century, Japanese Buddhist monks involved in restoring the lost Buddhist monastic precepts achieved considerable results in their proactive involvement with welfare activities to assist the poor. This spirit has been passed down to the modern Buddhist groups in Japan, which engage in various forms of social outreach in the context of actualizing the altruistic teachings of Mahayana Buddhism.
 Besides the Buddhist altruistic social activities engaged in by Buddhist monks or leaders, the ongoing tradition of providing aid to others without thought of recompense among the Japanese people deserves mention. The foundation of such activities lies in the unique Japanese understanding of wrongdoing.
 The sense of wrongdoing that the Japanese have had since ancient times is fundamentally different from the Christian concept of original sin. The Japanese believe that the very act of their existence places a burden on others and on society. This is manifested as their awareness of wrongdoing, which is a deep-seated element in the Japanese consciousness. It is believed that unless that wrongdoing is somehow expiated, disasters or misfortunes will befall that person. To expiate this wrongdoing, it is necessary to repent before the gods and buddhas, and to engage in positive activities benefitting others and society.
 Social participation based on the ancient Japanese way of expiating wrongdoing by working for the betterment of society in order to atone for one’s transgressions was called sazen, or engaging in positive or meritorious works. In the thirteenth century, the Buddhist holy men who preached devotion to Amitabha Buddha and traveled throughout Japan to accumulate the capital to build temples and shrines also, from a sense of atoning for wrongdoing, engaged in such charitable works as building bridges, opening roads, and digging wells.
 The monk Chozen, who contributed to the rebuilding of Todai-ji temple in Nara, wrote a work called Doing Good in the Name of Amitabha Buddha. In that text he advocated such meritorious activities as the construction of temples and stupas, building bridges, repairing roads, establishing public baths in addition to seeking to develop the faith of the people out of devotion to the Buddha.
 The simple fact of our living within modern society means that we contribute, to a greater or lesser degree, to the consumption of the limited resources of the world, the pollution of the atmosphere, and the destruction of the natural environment. We engage in such wrongdoing at the same time that our lives are supported by the world and society, and owed to them. The time has come for us to seriously consider, based on such an awareness, what we can do for society and how we can contribute to the preservation of the environment in return for its support of our lives.
 An awareness of the interconnections and the interdependence of all living things, the admittance of pluralistic values recognizing the precious worth of those not endowed by mainstream society, and social service based on the idea that our existence is owed to the world and society: I believe that these points are among the many that we in this age might learn from Buddhism.
 

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