日時:令和7年12月8日、15日〜17日
会場:沖縄平和祈念堂(沖縄)
原爆供養塔(広島)
原爆落下中心地(長崎)
本会会議室(東京)
2025(令和7)年は、第二次世界大戦が集結して80年という節目の年でした。同時に、ウクライナやパレスチナなど、世界中の戦争が収まらず、平和の大切さを改めて思い起こさせる年でもありました。
本会では、5月15日に理事長声明「戦後80年をむかえて」を発出するとともに、戦争のない世界の実現ためには戦争を語り継ぐことが重要であると考え、本誌『全仏』665号で広島・長崎の原爆、666号で沖縄戦を語り継ぐことに焦点を当てて2号にわたり特集しました。
そして、戦後80年の追悼巡業を、2027(令和9)年の法人創立70周年の記念事業の一つとして位置づけ、12月8日から17日にかけて、沖縄・広島・長崎・東京で法要を厳修し、戦争で失われた全てのいのちに対して哀悼の意を表しました。いずれの法要においても、理事長声明を読み上げ、「仏教徒である私たちは、戦争という過ちを再び繰り返されることがないよう、これからも世界平和であり続けることを願い、先達への感謝を忘れずに、仏陀の和の精神を基調とし、世界平和の進展に寄与してまいります」と誓いました。
【沖縄】
慰霊巡業は沖縄から始まりました。12
月8日、沖縄本島の南端、摩文仁(まぶに)にある沖縄平和祈念堂にて、和田学英事務総長を導師として、法要を執り行いました。ここ摩文仁は、その丘にある自然壕に日本軍が司令部を移したことで、沖縄戦の最後の激戦地となった場所です。その過程で避難していた住民も戦闘に巻き込まれ、多くの犠牲者が出ました。今、同地は沖縄戦で亡くなったすべての人の氏名を「平和の礎」に刻むなど、恒久平和を祈念する公園となっています。
その中にある平和祈念堂内に鎮座するのは、沖縄平和祈念像。沖縄出身の彫刻家、山田真山(しんざん)が生涯をかけて原型を制作した、高さ約12メートルの像です。その御前にて、全戦没者の追悼の思いを込めて、法要を厳修しました。
【広島】
12月15日、広島市の平和記念公園内にある原爆供養塔にて、
日谷照應理事長を導師として法要を営みました。この原爆供養塔は、身元不明な遺骨や、氏名が分かっていても遺族が分からない遺骨など、7万柱が収められた場所で、1955(昭和30)年に現在の地に建立されました。広島における原爆による直接の死者が、推定で14万人ほどと言われる中、その半分のご遺体の引き取り手が見つからないという、戦争の残酷さと核兵器の恐ろしさを噛みしめながら、焼香し、黙祷を捧げました。【長崎】
長崎に赴いたのは、広島の翌日の12月16日です。長崎市の爆
心地公園内の、原爆落下中心地に建てられた、黒御影石の碑の前にて、法要が執り行われました。この場所の500メートル上空で爆発した原子爆弾は、周囲の草木をすべて焼き尽くして、70年は草木も生えないだろうと言われました。しかし、現在では木々が生い茂り、市民の憩いの場所となっています。長崎の街もまた、それらの木々のように力強く復興しました。それは長崎の人々が、戦後、懸命に努力してきた結果です。日常を取り戻そうと平和を希求する人間の強さに感銘を受けながら、長崎を後にしました。
【東京】
追悼巡礼の最後は12月17日、本会の会議室にて法要を厳修しました。
いずれの場所においても、現地の仏教会や、宗派の関係者、70周年の実行委員の方々が参集し、平和への思いを一つにしていただきました。心より感謝申しあげます。


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