浄土宗西山禅林寺派(じょうどしゅうせいざんぜんりんじは)

浄土宗西山禅林寺派(じょうどしゅうせいざんぜんりんじは)

浄土宗西山禅林寺派の特色

 永観堂というお寺の正式名称は聖衆来迎山無量寿院禅林寺と言います。永観堂という名の由来は後で説明します。

歴史区分で見ますと、その歴史は、大きく三つの時代に分けられます。最初は真紹僧都から永観律師(ようかんりっし 1033-1111)が住職になるまでの約220年間 で、真言密教の寺院としての時代です。永観律師から遡ること200年余り、藤原関雄の別邸であったこの地を譲り受けた弘法大師空海の高弟真紹僧都(797~873)が、仁寿3年(853年)、真言密教の道場として開かれたことに始まります。その後、清和天皇より禅林寺という寺号を賜り、名実共に勅願寺として発展しました。その後、入唐八家の一人である宗叡僧正が住持するなど、真言密教の寺院として大きく発展しました。

 次は永観律師から静遍僧都(じょうへんそうず 1166-1224)までの約140年間。この時代は、真言密教と奈良で盛んだった三論宗系の浄土教寺院でした。

   「みな人を渡さんと思う心こそ 極楽にゆくしるべなりけれ」  『千載集』

と詠まれた永観律師(ようかんりっし 1033-1111)はことに高名です。律師は、自らを「念仏宗永観」と名のられる程、弥陀の救いを信じ、念仏の道理の基礎の上に、当時、南は粟田口、北は鹿ケ谷に到る東山沿いの広大な寺域を持った禅林寺の境内に、薬王院という施療院を建て、窮乏の人達を救いその薬食の一助にと梅林を育てて「悲田梅」と名づけて果実を施す等、救済活動に努力せられたことは、多くの史書にみえるところです。永観律師は幼少より秀才の誉れが高く、三論宗の学匠として名声を得るまでになりましたが、地位も名声も捨てて東山禅林寺に隠遁することを選びます。18歳から日課として一万遍の念仏を称え、後には六万遍もの念仏を称えたといわれています。禅林寺を永観堂と通称するのは、永観律師に由来しています。

 三つめの歴史は、法然を宗祖とする浄土教の寺院になったことです。鎌倉時代の初め、源頼朝の帰依を受けた真言宗の学匠静遍僧都は、法然上人(1133-1212)の死後、その著「選択(せんちゃく)本願念仏集」にある念仏義を批判するために、再三再四読み下すうちに、自らの非を覚り、浄土教の教えに帰依されました。静遍僧都は誹謗の罪をくいて、法然上人をこの寺の11代住職に推し、自らを12代としました。そして、法然上人の高弟西山証空上人(1177-1247)に譲りました。その後、証空上人の弟子、浄音上人(1201-1271)が住職になり浄土宗西山派の寺院となりました。以来今日まで、約八百年永観堂は浄土宗西山禅林寺派の根本道場として、法灯を掲げています。

 以後、応仁の乱など、戦火に遭い歴史の変遷とともに永観堂も隆盛・衰退を見ますが、 永観堂が浄土宗の寺院へ変わったのは、すべての人々が救われる道をそこに見いだしたからです。今も阿弥陀如来の慈悲に導かれ、永観堂は多くの人々の篤い信仰に支えられています。

見どころ

   「おく山の岩がき紅葉散りぬべし、照る日の光、見るときなくて」  『古今集』

 この歌は、平安時代初期に、永観堂(禅林寺)を創建された弘法大師の弟子真紹僧都の徳を慕って、自分の別荘を寄進した藤原関雄の詠んだ歌です。永観堂は仁寿三年(853)の草創以来今日まで、幾多の文化人達の筆や口の題材となり、親しまれて、“モミジの永観堂”として千百有余年のかがやかしい歴史を持った京都有数の古刹です。境内には、伽藍こそ時代と共に変遷は見せますが、紅葉の名所としては今も昔も変わらぬ姿で人々の目を愉しませています。

 通称「永観堂」は、由来にも記載しましたが、当山第7世永観律師の名に因んで付けられたものです。永観は『往生捨因』や『往生講式』を著し、後に法然に代表される浄土宗の教えに多大な影響を与えた人物としても知られていますが、その礎は18歳の頃より勤めていたお念仏を称える日課にあると考えられます。その念仏行を禅林寺でも実施し、後に日に6万遍もの念仏を実践されていることから「念仏宗永観」とまで呼ばれました。そんなある日、いつものように阿弥陀様の回りを念仏を称えながら行道していると、誰かが目の前を歩いているのに気がつきます。驚いた永観は、そこに立ち竦んでいると、左後ろを振り向き「永観、遅し」と仰せられました。何と檀上にいたはずのご本尊阿弥陀如来さまだったのです。永観は遅れる者を待つその慈悲深いお姿を後世まで留めてくださいと懇願したところ、阿弥陀様は永観の思いに答え、今でも左後ろを回顧したそのお姿を留められています。そのお姿こそが「みかえり阿弥陀如来」呼ばれる由来であり、その先には常に衆生に目を向けているお姿であると伝わっています。毎年2月14日・15日には、一般の方を対象に永観律師の御遺徳を偲び、「念佛行道会」を厳修しています。

 日本でも奇瑞と謳われる永観堂禅林寺のご本尊みかえり阿弥陀様。お参りの際には是非ともその慈悲深いお姿とご縁を結んで頂けましたらと思います。

その他

 永観堂は、紅葉の名所としても知られていますが、文化財もそれに勝るものを蔵しています。当山に伝わる寺宝の数々を、拝観に来られた皆様に広く展開し、ご縁を結んで頂きたく、毎年11月に秋の特別寺宝展を開催しています。また、同期間に夜間特別拝観としてライトアップをしています。詳細はこの時期の当山ホームページにてご確認下さい。

基本情報

宗派名 浄土宗西山禅林寺派(じょうどしゅうせいざんぜんりんじは)
本山 総本山 永観堂 禅林寺(そうほんざん えいかんどう ぜんりんじ)
別称(正式名称) 聖衆来迎山 無量寿院 禅林寺(しょうじゅらいごうざん むりょうじゅいん ぜんりんじ)
問い合わせ先 〒606-8445 京都府京都市左京区永観堂町48番地
TEL 075-761-0007
http://www.eikando.or.jp/
駐車場 なし
代表 浄土宗西山禅林寺派宗務所

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